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ホンの基礎知識 | |||
1. マルチアンプの基礎知識 2. デジタル技術の基礎知識 3. FAQ-むだづかいにNO! | |||
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- ホンの基礎知識 - |
FAQ-むだづかいにNO! |
誘惑と疑念の数々 個別に撃破!! |
閲読注意!! 小庵のGが過激モードで放言しています!!
このページはポケットマネーを気にしながらオーディオを楽しむ人を支援するためのものです。ハイエンド製品や謎のオーディオアクセサリーを好きなだけ買える人はこのページは読み飛ばしてください。
マルチアンプシステムを構築する過程で、また構築後のオーディオライフにおいて、自分のシステムをどう運用していくかについて判断に迷う事態があなたに訪れるでしょう。雑誌やインターネットのオーディオ関連記事があなたを不安にさせるかもしれません。親しいオーディオ仲間が彼の主観を何度もあなたに言ってくるかもしれません。あなた自身、自分のシステムに疑問を感じる日があるかもしれません。
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そんなときは冷静になる必要があります。このページはあなたが冷静な判断をするための情報を提供します。「冷静な判断」とは「無駄遣いをしない判断」という意味です。大切なことですよね。ただし、何も買わないことをあなたに勧めているわけではありません。それでは味気ない趣味になってしまいます。少しのむだが思わぬ幸運を呼ぶこともあります。時には家族で買い物も楽しんでください。
誘惑と疑念の数々 | ホンの基礎知識 - FAQ-むだづかいにNO! | |
「無駄なことも楽しむのが趣味の醍醐味だ」と考える人がいます。小庵のGもそのタイプですが、ここでは「時間とお金を無駄なく使いたい」という人のためのいくつかのヒントを考えています。あなたに襲い掛かる誘惑に賢明に対処しましょう。実際、それに翻弄されたあげくオーディオそのものに幻滅を感じて退場する人が少なくないのです。
あなたが自分のマルチアンプシステムを完成させることができれば大きな満足があるはずです。しかし、しばらくすれば「別のアンプがいいかもしれない」、「別のスピーカーにすればもっと音がよくなるかもしれない」などという思いがあなたの頭をよぎるようになるでしょう。現状に不満はなくても、別の選択について想像することは楽しいことです。あなたはオーディオ雑誌を読むようになり、インターネットのオーディオ記事に注意を向けるようになります。
そこまでは健全です。しかし、その先へ行くときは注意しましょう。
魑魅魍魎は「自分はオーディオのことはよく知っている」と思っている。「何を買えばよいのかについては特によく知っている」とも思っている。そして、厄介なことに「困った人がいれば助けなくては」と強く思っている。彼には彼の基準において強固な善意があるのだ。魑魅魍魎については彼自身はその言葉さえ知らないかもしれない。実際、悪くない話も持ってくるのだ。
善意を断るのは難しい。彼の発言を尊重しているうちに、言われるまま80万円のスピーカーケーブルを買うことになる。買ったものの後悔はしたくないから「音が変わった」派に声を揃えることになる。そんなことを何度か繰り返すうちに「感動のためには金が要る」という妄想を受け入れるようになる。しかし、金の話に持っていきたくはないから、「これを試せば驚きの音を聴ける。音楽の感動を思い出せる」などと繰り返すようになる。そうなったところで魑魅魍魎の任務が完了する。仲間が一人増えるのだ。
彼が魑魅魍魎であることを知るためには、別の山に住む別のそれの話題を持ち出せばよい。そのとき彼は怒り出すだろう。彼らの特徴は、別の山の匂いを感じ取った瞬間、互いを罵倒し始めることだ。火花が散るのが見えるだろう。
さてsoopoo、重要なことは、私もそれなのではないかということなんだよ。
そうですね、行ったり来たりしているかもしれません。
あなたを誘惑し混乱させる言葉を以下にまとめてみました。個別の項目をクリックすれば詳細を表示します。
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- そもそも?
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マルチアンプこそ、そもそも無駄遣いの第一では?
それにしてもお金がかかるのでは? - オーディオ界の評判
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専門家、評論家、識者、マニアがほめている製品だから音がいい。
オーディオ雑誌やネットの記事で「音がいい製品」と書いてあった。
オーディオ関連掲示板が盛り上がっています。
Altecは音がいい、JBLは音がいい、WEは音がいい ……。
ハイエンドアンプ、ハイエンドスピーカー、ハイエンド……は音がいい。
- ケーブル関連
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スピーカーケーブルを交換すれば音が変わる。
クライオ処理したケーブルを使うと音がよくなる。
RCAケーブルなど信号ケーブルを交換すれば音が変わる。
デジタルケーブルでも音が変わる。
電源ケーブルやタップを交換すれぱ、また極性を注意すれば音が変わる。
オーディオ用の各種ケーブル、ネットワーク製品は音がいい。
- デジタル技術関連
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CDは音が悪い、LPレコードは音がいい
デジタルデバイスは雑音が多く音が悪い。
オーバーサンプリングすれば音が良くなる。
デジタル伝送はジッターの影響で音が悪くなる。
- スピーカー関連
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エージングで性能がアップする。
アルニコ磁石のスピーカーは音がいい。
バスレフ型スピーカーはドンシャリだ。
製品レビューに「女性ボーカルが美しい」などど書いてあります。
スピーカーで音速が変わる?
- その他
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PCオーディオはMacの方がWindowsより音がいい。
駆動力のあるアンプは音がいい。
デジタルアンプは音がいい。/ 真空管アンプは音がいい。
国内メーカーは外国製品の真似ばかりしていた。
クリーン電源を使えば音がよくなる。
電源は200V(ボルト)の方が音がいい。
消磁器/消磁用CDを使えばCDやDVDの音がよくなる。
- 最後に
- 魑魅魍魎賛歌
犬のくせに番犬が勤まらないじゃないか。
でも、だれが大切なのかは分かっているつもりですけど……。
ビーフジャーキーを買いに行こうか。
個別に撃破!! | ホンの基礎知識 - FAQ-むだづかいにNO! | |
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Gのかつてのオーディオ仲間にはマルチアンプシステムに桁違いのお金を使っていた人が何人もいたそうです。家ごと改造、などということが特別ではなかったそうです。ですから「マルチはお金がかかる」というのがオーディオ界の一般的な認識のようです。小庵の行動は本ページの目的と矛盾しませんか?
マニアほどではないが、小庵の試行錯誤にも相応の金が必要だった。購入品のすべてが役に立ったわけではない。
小庵の記事を見てマルチアンプシステムにチャレンジする人がいるなら、それは喜ばしくも心配で、悩ましくもある。
50年のあいだに多くの失敗を見てきたからだ。多くの友が少額とは言えない金を「ただ失った」だけに終わった。彼らの一部はその後にオーディオやマルチへの敵意を持つことになった。幻滅を感じるというのは悲しいことだ。小庵の記事が誰かの幻滅を増やすことになるなら、それは私もsoopooも望むところではない。
だから、小庵は本サイトを構築する前に「中古品を含む普及品だけで、高価なオーディオアクセサリなしで、特別仕様のケーブルなしで、端的に言うなら『ポケットマネーで』満足できるレベルのマルチアンプシステムを構築可能か」というチャレンジを実際に行ってみた。成功したと思えるならウェブサイトを立ち上げようということだった。
われわれの結論は「マルチアンプシステムの安価な実例と方法を書き残す価値がある」だった。読者が同じ経験を持てるように記事は分かりやすく正確に書くことを第一にした。記事の通りにチャレンジするならだれでも相応の結果が得られるよう細心の注意を払って内容を編集した。soopooも知っての通り長い時間が必要だった。
無駄遣いをしないシステムの実例を示せたと思う。現物が小庵に何組かあるのだ。あなたもマルチにチャレンジできる。
ぼくはGがどんな買い物をしたか知っています。Gはもっと正直になるべきでは?
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打ち合わせとちがうぞ。機嫌悪いのか?
ポケットマネーで本当にマルチが可能か、つつみ隠さず真実を述べてくださいね。
「購入品のすべてが役に立ったわけではない」と書いた通りだ。
だが無駄遣いと言われれば、それには弁解できる。最短距離を行けば約束通りにできたと思う。
非常に多くの試行錯誤が必要だったからだ。意図して回り道を選んだこともあった。そうしなければ分からないことがあった。ただ一つの実験をして一般的な結論を出すことは不可能だ。何通りか試すためには追加機材がいる。中古品の動作不具合で原因追及に疲れて新品を買わざるを得ないこともあった。あとで不具合でなかったことが分かったがね。これは無駄遣いか? 来客があったときに急に故障しては困るから重要な機器は予備を用意した。これは?
お金は確かに減らしましたが無意味な出費はなかったとぼくも思います。
小庵の記事通りならポケットマネーでOKですとも。
専門家、評論家、識者、マニアがほめている製品だから音がいい。
それらの人々は信用できますか? 信用できるなら参考にしましょう。信用できる人がいることは確かです。
あ〜、さまざまな意見に耳を傾けることは人として美しい選択だと思うね。
そのような態度があれば他者と良い関係を結べることが多い。
しかし率直なところ、21世紀はウソと誇張と無責任の世界になってしまったようだ。
20世紀はもうちょっとマシだった。多くの人が「恥ずかしい」という感情を知っていた。
今では国家指導者さえ平然とウソをつくから、役人ほかの取り巻きも当然そうしている。
大ウソつきが去ってほっとしていると次には極め付きの小人物が登場する。
さながら大根役者の田舎芝居だ。いやそれならまだ楽しみの余地はあるよね。
でも、信頼できる人がたくさんいると思いますけど。
どうすれば判別できる?
毎日ウソを聞き続けているから、こちらはもう腹も立たないが、人の言葉を聞けばまず先に疑念が生まれるようになった。
言葉が信用を失って、自称や他称の専門家の言葉をどう受けとめればいいのか分からなくなってしまった。
世も末だ。普通に考えれば、この世界はいずれ空中分解する。
思い込みと嗜好が際限もなく語られている。それらの上に理知が乗っているから始末が悪い。逆なら可なんだけどね。
「ぼくはAltecやJBLが好きなんだ」と素直に言えばいいものを「AltecやJBLは音がいい」と澄まして断定するから怪しいことになる。造詣が深いように装いたいのだろうかね。「好きなんだ」というのは子供の表現のようだから彼のプライドが傷つくのかもしれない。いやいや率直な人はかえって好感を持たれると思うんだがね。soopooを見れば分かる。
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うれしいです。はい。
人類がsoopooのようなら歴史が一変するだろう。別の問題が起きるかもしれないが……。
それにしても、自分に格別の評論能力があると思い込み、自分の価値基準と同じものを他者が持っているはずと思い込み、還暦近いのに20kHzが聞こえると思い込み、それは第三の聴覚器官によると思い込み、だからハイレゾは福音だと思い込み、何でもハイエンドがいいと思い込み、JBLやLINNは音がいいと思い込んでいる。知性による抑制がない。それらの思い込みが次々に重畳して頭の中が常時無限ループだ。幸か不幸か時代は彼にインターネットの拡声器を与えた。行きつく先はウソ八百の騒擾世界だ。
困ったものだ。悪意があるとは思えないのだが、本人にも判別できないわずかなことを大げさに言い、素朴な人々を幻惑している。歳をとると人の意見が聞こえなくなるからいよいよ困る。
オーディオマニアの思い込みは今も昔も変わらないが、今はデジタル技術の奔流があるのにそれについての理解を進める気がないから内容がいよいよ空疎になってきた。評論をしたければ誰かの感想文をコピペすればよい時代になった。無量の言葉はあるが内容がない。話の前提に誤謬があるかもしれないと考える冷静なマニアがほとんどいない。困るのは彼らに悪意がないように見えることだ。時代の狂気が亢進して人々の知性が衰滅し始めているのではないかと心配している。
しかし、犬は正直でハッタリがないね。
soopooのことはシッポで分かる。
ぼくは生まれてからずっと人間を信じています。
オーディオ雑誌やネットの記事で「音がいい製品」と書いてあった。
どの程度参考にできるか冷静に判断しましょう。
執筆者も苦労して書いているのだろうからね。小庵の記事だってなかなか大変だ。
雑誌の場合、多くは提灯記事だね。執筆者にとっては雑誌のスポンサーに気に入られるように書かないと次の原稿依頼がないから、耳ざわりのよい言葉を並べてしまうのは致し方がない部分がある。分かっていれば提灯記事も悪くない。ネットの記事は玉石混交で、優れたものもあるんだが大部分はゴミだ。
率直なところ、特定の製品について音がいいか悪いかという議論に参加したり誰かのレビューを読むことは時間の無駄だと思う。A氏が「音がいい」と言い、B氏が「音が悪い」と言った場合、どちらが正しいかをC氏はどうやって判定するのかね。C氏の判断が正しいかどうかD氏はどうやれば判断できるんだ? うんざりしないか?
みんなが勝手なことを言っているさまは、たとえば子供の発表会ごっことあまり変わらないね。何かを言ったつもりの子がいて、何かを聞いたつもりの子がいて、両者満面で拍手終了となるが、しばらくすればどちらもきれいさっぱり忘れている。オーディオマニアはそんなことを限りなく繰り返す能力を持っているようだ。
オーディオ関連掲示板が盛り上がっています。
Webでオーディオ関連の検索をすると一部の情報提供サイト等の掲示板でマニアのみなさんがビギナーも巻き込んで熱心に議論しています。これは参考になりますか?
前にも書いたが、口が達者なオーディオ老人の多くはいわば「思い込み魔人」になる。魔人にもクラスやレベルがあって、洗練を感じる魔人もいれば素朴に愉快を提供してくれる愛嬌魔人もいる。魔人が魔人を好んでいるその様は、穴倉や洞窟にいる脚の長い虫の集団を見る思いがすることもある。soopooはザトウムシってのを見たことないかな。害はない。奇妙なだけだ。目は見えないらしいから、近くにいる仲間を長い脚を持ち上げて「ちょんちょん」と確認している。脚で何かコミュニケーションをしているのかもしれないね。「ハイエンドアンプは出力に余裕があるから低出力でも音がいいね」とか、「ケーブルを代えたら音が激変したよ」とかさ。
あしながおじさんのことは知りません。
ぼくは「人間ってすばらしい」と思ってますけど、これも思い込みですか?
思い込みってそんなに悪いことなのかな?
しかし、ことはオーディオなんだよね。アンプやスピーカーやケーブルについて「私はそう感じる」と個人的な感想だと言えばいいものを、「自分は普遍的な真実を覚知・発見した。自分にはそのような能力がある」とでも言いたい態度をとり、最後には「その他の理解は間違っている」などとけんか腰になるから魔人と変わらないと言ってるのさ。
さて。それにしても……。インターネット掲示板の話だね。オーディオ趣味は大金が必要な時があるから、みんな真剣ではある。ウソをつく気はないし他人の意見に耳を傾ける意思もある。誰かの失敗談を読めばちょっと愉快だ。たいてい親切な世話役のような人物がいて話題が途切れないように工夫している。
だから、時間と小遣いを持て余しているオーディオ老人には格好の居場所と言える。家族から相手にされなくなっているなら長い夜をそこで耐えることができる。勇気を出して何か書けば誰かが応答して秘かにうれしい。ありゃ? 時間の無駄とは言えないね。
そうか、インターネット掲示板にはそんな効用があるね。掲示板はゴミの山だと言いたかったが、反省反省。
Altecは音がいい、JBLは音がいい、WEは音がいい ……。
どれも米国のメーカーで、それぞれに特徴的な製品作りをしました。
38cmウーファーの音を初めて聴いたときは驚いた。安ければもっと普及しただろう。
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ま、しかし、どれも大雑把な音作りだったね。エンクロージャだって雑な作りだった。内部ケーブルもひどいものがあった。日本の職人ならもう少しまともに作れただろう。しかし、乾燥気候の広い部屋で細かいことを気にせず爆音を楽しむにはよかった。1mもある中音ホーンを使っているのにタイムアラインメントなんてまるで無視していた。3ミリ秒も遅れて音が出てくるんだよ。
それでも1970年代ころのオーディオ評論家が外国製ばかりをさかんに持ち上げるものだから、そのどれかを家に飾ることが見識の高さを証明するかのような雰囲気になってしまった。耳もそれに慣れてしまった。ばかばかしい。狭くて湿っぽい日本の家で隣家の苦情を気にしながら細々と聴いたのではAltecやJBLがかわいそうだ。私は日本家屋のためにはメイドインジャパンを支持する。日本人は研究熱心だし、環境事情がよく分かっているからだ。しかし、2020年には国内メーカーはほとんど死んでしまった。残念なことだ。
ハイエンドアンプ、ハイエンドスピーカー、ハイエンド……は音がいい。
「ハイエンド」と聞くと飛びつきたくなりませんか?
「ピュア」や「スピード感」、「音が前に出てくる」なんてのもそうだ。 「ハイエンド」と聞けば世界的評価を確立した製品かと思ってしまうが、そんなことはない。だれかが勝手にそう言っているだけだ。言葉の効果を狙っているのだ。ただし、オーディオメーカーが自社製品の最上位のものをそう呼ぶのは理解できる。
試聴のさいは店員の言葉は無視しよう。「ハイエンド」と聞いただけで何かを期待したり自宅システムに疑いを持つことはメーカーや店員の販売戦略に乗せられていることになる。メーカー以外で、たとえば、専門家や評論家、識者、その他の有名人、その他のマニアが「ハイエンド」という言葉を使うときは、それは当人の主観を表明しているに過ぎない。実質的な意味はほとんどない。彼らが好んでその言葉を使うのは、そうすれば手軽に自分の発言を粉飾できるからだ。
スピーカーケーブルを交換すれば音が変わる。
スピーカーケーブルの中には驚くほど高価なものがあります。製品パンフレットにも自信満々のことが書いてあります。
しかし、公式なブラインドテストでケーブルの差を確実に聞き分けられた人はいないようだね。「音がよくなる」高価なケーブルを販売している組織は世界に少なくないが、不思議なことに彼らがテストに応じたこともない。
2019年に世界人口は77億人だったそうだ。50cmごとに一列に並べば地球1周に届くほどの人数だ。それほどの中にはケーブルによる音の差を認識できる人がいそうなものだが、少なくともこの50年、そんな人がいたとは聞かない。
それもそうだ。考えてもみたまえ。「音がよくなる」ケーブルを使ったところで、その前後にはそれとは異なるケーブルが使われている。アンプやスピーカーシステムのことだ。悪いことに、まさに音が出るその最終段階にネットワーク装置のコイルや抵抗、コンデンサーが待ち構えていて、ケーブルマニアの努力を水泡に帰させてしまう。さらに悪いことに、スピーカーユニットのボイスコイルには許しがたいほど細い導線が長々と巻かれている。
これが小庵が知っている事実だ。
でも、これってマルチアンプのご案内みたいですね。
それなら仕方がない。脱線するが諸氏にはマルチアンプシステムをおすすめしよう。
さて導線が変われば電気特性が変わるのは事実だから、ケーブルを代えれば音が変わるというのは、聞き取れるかどうかは別にして、厳密には正しいというほかはない。銅線なのか銀線なのか、単線なのかより線なのか、線は太いのか細いのか、円いのか平べったいのか、等々でさまざまに電気特性が変わるらしい。電気信号が銅線の表層を流れるか内部を流れるかで議論をしている人々もいる。
なるほど電磁気理論については識者を尊重することにしよう。好きなだけ議論してもらえばよい。
しかし、結局のところそれらの多くはオーディオルームの外の騒音ではないかと思う。
ケーブルの差を十中八九の割合で実際に聞き分けられる人は聞いたことがない。50%の正解では音を判別したことにならない。オーディオの先人・長岡鉄男氏はスピーカーケーブルのブラインドテストの折に「何が何だか分からない」と率直に言っている。勇気づけられる発言だ。
私は電気掃除機の延長コードを2分割して3-wayシステムにつないでいたことがあるが、ベルデンやモンスターと比べて何も変わらなかった。あるときAmazonで30m/3,000円弱のケーブルを買ってみたが、5N純度どころか銅線であるかも疑わしいしろものだった。それでも動作テストでは差が分からなかった。そのケーブルは今でも小庵で視聴できる。あなたの耳を確認できる。
私は耳が悪いのか? それは否定できないね。15kHzはもう聞こえないし、5Nと3Nとの差が聞き分けられないからね。しかし、針金ハンガーを延ばして試した人も同じ結論だったということだ。
犬は人間より耳がいいはずだが、soopooはどう思う?
モンスターと針金ハンガーを試したとき何か感じたか?
そうですね。何となくということなら何となく……。
ケーブルの実物と値段を見てからだと、もう少し何となくですけど……。
正規販売品とコピー品との差もちょっと……。
ただ、一部のケーブルマニアの弁護はしておこう。中には物品の外観やその来歴に価値を感じる人もいるだろう。姿が美しい、色合いがよい、重量感がある、お気に入り某社の販売である、某氏の所有物だったなど、オーディオとは別の視点からそれを評価する人々がいる。趣味は様々だからね。かえって見識の一つと言えるかもしれない。ある人が800万円のケーブル(実在する)を買い、その後に「音が良くなった」と言わないなら彼は見識あるオーディオファンの一人かもしれない。
エアコンや冷蔵庫からとか?
ノイズが乗るから音が悪くなるというのは単純すぎる。高周波ノイズが大部分だからだ。100kHzを超える音は、たとえ再生できたとしても人間の耳には聞こえない。そもそも大部分のスピーカーはそれを再生できない。デジタルケーブルの場合はさらに明確に「影響はない」と断言できる。デジタル伝送の仕組みが外来ノイズの影響を受けないように作ってあるからだ。近くで核爆発が起きた場合は例外だがね。
それにしても、ケーブルに興味を持ち過ぎると、そこは不安の連鎖の世界になるだろうね。そうして彼の部屋はスピーカーケーブルや信号ケーブル、電源ケーブルが山を作るようになる。彼は疲れた顔でそれを見る。彼は一体何をしたいのだろうか。
クライオ処理したケーブルを使うと音がよくなる。
金属線を超低温(-80℃から-100℃)で冷やすことを「クライオ」と言うそうです。そうしたケーブルをスピーカーとの接続やオーディオ機器の配線などに使うと「驚くべき音質改善効果がある」という記事を雑誌やインターネットで見かけます。
それはそうですよね。1曲で死んでしまいます。
液体窒素供給タンクつき200m3超低温キャビンとセットで売ればいいんだよ。
RCAケーブルなど信号ケーブルを交換すれば音が変わる。
これはスピーカーケーブルの話と同じです。
ひんぱんに抜き差しするのなら、コネクタを頑丈に作ってあるものをすすめる。
できるだけ短く使うことやコネクタがしっかり接触するよう心がけるなら、RCAケーブルは普及品で十分だ。1.5mでおそらく1,000円以下だろう。もちろん、高価なものを買ったからといって財布が軽くなる以外に何か悪いことが起きるわけではない。
信号ケーブルの話で変わったところでは「USBケーブルを交換すれば音がよくなる」と書いているサイトがあった。サイトには某社製USBケーブルでのパルス信号送信時の実測データが掲載されて「ごらんの通り方形波の肩特性が崩れるので音が悪くなる」というような記事があって「だから弊社の製品を」と誘導していた。
悪意はないとするなら、このサイトはアナログ技術とデジタル技術を混同しているね。アナログ信号なら肩特性が変わるということは音が変わることを意味するからだ。肩特性だけでなく、あらゆる信号特性がそのまま音の差として現れる。聞き取れるかどうかは話が別だが。
しかし、デジタル伝送では肩特性は意味を持たない。デジタルシステムは、信号データが "0" なのか "1" なのかを電位で見ているだけなのだ。波形がどうであっても、決められた電位以上のデータが届いたなら "1" とし、それ以外はみんな "0" なのだ。"1.1" や "0.1" など、「よりマシなデータ」はない。たとえ肩特性が百万通りに化けても、それはデジタル伝送では意味を持たない。デジタルは単純明快だね。
ちなみに、私のUSB 2.0ケーブルは2mで800円だが、そのサイトは3万円ほどだった。良心的な方と考えるべきなのか?
デジタルケーブルでも音が変わる。
光ケーブルや同軸ケーブル、USBケーブルなどでも音が変わるという人がいます。
人類は火星に安全にロケットを送ることはできないし、PCで社員の給与計算を行うこともできない。
おそらくそのケーブルは単に不良品なのだろう。そうでなければ、いつものように「そんな気がした」のだろう。
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「音が変わる」と言うのは、デジタルの世界では「伝送中にエラーが起きた」ということを意味する。CD再生なら、16ビットの伝送でどれかのビットが "0" から "1" に、あるいは "1" から "0" に変化したことを意味する。デジタル処理で本当にそうなった場合は「なんとなく音が変わった」というようなわずかな変化では済まない。「大きな突発ノイズが出る」、「音が途切れる」、「無音になる」というように誰もが分かる致命的な状態になる。
デジタル処理でもエラーが起きることはある。しかしそれは重大事態だから対策が用意されている。たとえば、残念な事例だが、デジタル技術は戦争技術で最大の需要があって、戦争は民族の運命がかかる最重要イベントだから、たとえば弾道ミサイルの軌道を計算するのに1ビットのエラーも許されない。万一エラーが起きたらそれをチェックできなければならない。また、エラーを手作業で修正する時間の余裕はないから、それを自動訂正できなければならない。デジタル技術は実際にそれを可能にしている。加えて、戦争のような過酷な環境でもデジタル機器を正常に運用できるように、技術規格は余裕をもって決められている。粗悪品でも十分な信頼性が期待できるように作られているということだ。
つまり、規格を満たしたケーブルを使う限りオーディオ伝送くらいでは重大事態にはならない。「デジタルケーブルでは音は変わらない。大切なことは規格内でケーブルを使うことで、それが1000円なのかその100倍なのかは音とは関係がない」ということだ。
エラーが起きるかどうかは身近なもので簡単に確認できる。普及品のUSBケーブルと普及品のUSB接続ハードディスクを用意してほしい。「オーディオ用」である必要はない。それをあなたのPCに接続してUSBハードディスクからシステムディスクなどに音源ファイルなどをコピーしてみればよい。そのさい「ベリファイ」モードでコピーをする。これは送ったデータと届いたデータが同じものかをチェックする動作モードで、フリーソフトウェアの "FastCopy" などで実行できる。小庵でもテストしてみた。合計8,400曲のFLACデータファイル、総サイズ187,000,000,000バイト(187GB)をコピーしてみたが、1バイトのエラーも報告されなかった。つまり、この普及品USBケーブルは100%の性能を発揮したということだ。驚くことはない。これが当たり前で、普通のことが普通に起きただけだ。そうでなければPCもUSBも信用できない。価格が100倍のケーブルがあったとしても性能上限は100%だから、その価格は「いい音」のためには正当化できない。
「デジタル処理にはジッター問題があるから音が変わる」という人もいる。「光ファイバーケーブルは同軸ケーブルより変わりやすい」、「HDMIはジッターが多いから使わない」とも。しかし、思い出してほしい。音が変わるというのはデジタルの世界では伝送エラーが起きたということを意味する。ジッターがひどければ伝送エラーが起きやすいのは事実だし、伝送メディアによってエラー発生率が変わるのも事実だが、ジッターがあるからエラーが起きる(音が変わる)というのは正しくない。「そうなることがある」と言うべきなのだ。加えて「ほとんどそうはならない」と言えばさらに正しい。ジッターのために音が悪くなる市販製品を例示できる人を私は知らない。
電源ケーブルや電源タップを交換すれぱ、また極性を注意すれば音が変わる。
またケーブルです。ケーブルの話が好きな人が多いので……。
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「音が変わる」というのは暗に「音が良くなる」と言っているのと同じだね。そして「お気に入りの某ケーブルは高価だけれども音がよくなる」と言いたいのだろう。営利企業が他社より少しでも有利な製品を作ろうとすることは自然なことだし、素材が変われば、また設計等が変わればコストがかかることもあるので、販売価格だけを見て批判するのは正当ではない。しかし、「音が良くなる」と公言するためには、少なくとも製造関係者の過半がブラインドテストなどで自社と他社の製品を判別できなければ、それは誇大広告だし消費者への誠実を欠くと思う。ウソを言っているのと同じだ。業者がブラインドテストに応じたという話は50年に一度も聞いていない。つまり、業者自身、そんなことを信じていないのだ。
意図して粗悪品を使わない限り、よほどひどい環境でない限り、オーディオ再生にそれらによる悪影響が現れることはないと私は思う。 電源ケーブルについてはプラグがコンセントから抜けにくいこと、必要な電力を安定して維持できることが大切だが、市販品の大部分はそうなっているはずだ。たとえ純銀製のケーブルを使ったところで、壁の中の配線が粗末なものでは意味がない。高速道路の途中に狭い農道があるようなものだ。
電源タップについては、プラグが抜けにくいこと、頑丈であることが大切で、電気店に積んである普及品でもOKのはずだ。医療用をうたうタップには外来ノイズ対策等を持つものもあるが、主な設計目標は「医療スタッフが足を引っ掛けて抜けてしまわないこと」だと思う。命にかかわるからね。近年のタップは普及品にもノイズ対策や落雷対策が実装されているようだ。
極性については、もし電源プラグを2通りに挿したときのオーディオ再生音を明瞭に聞き分けられる特殊な耳を持っているのなら関心を持ってよいと思うが、そんな人は聞いたことがないね。第一、壁の中の配線でちゃんと極性管理が行われているか本当に知っているのだろうか。それに、「変わる」ということと「良くなる」ということとは同じではない。よく分からない場合、忘れてしまって何の問題もない。
オーディオ用の各種ケーブル、ネットワーク製品は音がいい。
市場には「オーディオ用USBケーブル」や「オーディオ用LANケーブル」、「オーディオ用ハブ」などと「オーディオ用」を冠した製品が特別な性能を持つ製品のように販売されています。
やるね、商売人は。技術者のお墨付きもある?
商売人はいつも新機軸の製品を探しているが、新機軸がない場合は既成の技術や製品に修飾語を付加して新製品のように見せかける工夫をする。たとえば「オーディオ用」とつける。商品案内に提灯記事を書いてくれる技術者はすぐに見つかる。それで広告費をかけて販売を始めれば、すぐに老人が飛びついてきて「これまでにない高性能商品」だと勝手に思い込んでくれる。
無知でなければこのような商売はできない。無知でなければこのような商品は買えない。
無知というのは恐ろしく強力だ。迷いがない。無智とも無恥とも書ける。どうしようもない。20世紀ころから白昼どこにでも現れるようになった。それを象牙の塔から見ていた学術界の権威がついに我慢がならなくなって「バカの壁」と書いた。そんなこと言いそうもない品のある先生だったんだけどね。
しかし「白昼どこにでも」というこの現状は「バカが増えた」と笑って済まされない問題を含んでいると思うときがある。
妄想と言われるかもしれないが、もしドラキュラやバンパイヤやゾンビらが、総じて悪魔・悪霊と呼ばれる者がこの世界に現れたとき、彼らが何をするだろうかと想像すれば、それはテレビや映画のように恐ろしい風体で人間を追いかけ回すことにはならないだろう。真に恐るべき悪魔はおそらく優し気な人間の顔をして人々に近づき、その心を破壊しようとするだろう。騙された者がそれと気づかないよう極めて巧妙にだ。愛を破壊し信頼を破壊し、汚い言葉で互いをののしり合うように仕向け、他人の不幸を喜ぶ者を増やそうとするだろう。その先にこそ人間の破滅があるからだ。そして、今まさにその過程を我々は見ているのかもしれない。この50年の間にそれほど世界は変わってしまった。異形の悪魔が実在するとは思わないが、それが目的とするところを人間自身が見事に実現しつつある。見よ悪魔とは誰の名か。
それに、とても尊敬できる人もたくさんいますよ。
さて目を覚まそうかな。
現在のUSB規格にはオーディオ専用オプションはないし、LANケーブルはただの銅線で、銀線や金線だったとしても伝送帯域はそれでは決まらない。それにLANやインターネットの標準プロトコル(TCP/IP)にはハブやスイッチのためのオーディオ用オプションはない。ただし、ハブのようなネットワーク製品のために新しいプロトコル仕様が提案される可能性はある。それでも、私企業が勝手にネットワーク技術を拡張することはできない。
CDは音が悪い、LPレコードは音がいい
CDが登場してからというものアナログオーディオ支持派がずっと言い続けています。
ひどいCDがあることは事実だ。しかし同様にひどいLPレコードもある。だから話を一般化することはできない。
両者の音をブラインドで確実に聴き分ける人がいるとは聞かない。判別できたとしても「音がいい」という判断は主観的なものだ。おそらく好みを言っているに過ぎない。振り返ればCDにもLPレコードにも多くの名盤があってそこから我々は音楽の感動を受け取ってきた。それを無視して一方的な批判をすることは冷静な態度とは言えないし、技術を生み出した先人たちにも実に無礼だと思うね。
しかし、そのための対策がデジタル技術には用意されている。心配することはない。
現実問題として、1秒間44,100個のデジタルデータ再生のうち数個に問題があったからといって、それを本当に判別できる人がいるかは大きな疑問だ。だから、小庵としては読み込みエラーを根拠にしてCDの音を批判することには同意できない。
そもそもCDとLPレコードを比較するということが今では無意味だ。2020年の若者はCDもLPレコードも持つ気はない。肝心なことを言わせてもらえば、CDとレコードのどちらが音がいいかなどということは、要するに50歩と100歩の話と同じなのだ。そこに記録されているのはいわば抄録だ。音楽の感動の全体ではない。
また始まるのかな?
そこに現れるものはオーディオルームにあるものとはまったく異なる。
あなたが音楽愛好家ならぜひとも演奏者の間近でライブを聴くチャンスを作ってほしい。
コンサート用グランドビアノの雄大かつ繊細な音やバイオリンの倍音の無限のバリエーションはCDでもレコードでも再現できない。パイプオルガンやコントラバスが生み出す強大な空間振動は肉体の感動さえ呼び覚ます。木管には洗練された優美が、金管には輝かしい上昇がある。どの楽器もそれぞれの無二の感動を歌うことができる。
それに、演奏会場には楽音だけでなく演奏者と聴衆による息遣いや心臓の鼓動もある。楽器に対峙しているのは演奏技術を高めるために無限の試行を重ね多くの試練を乗り越えてきた人だ。長期の努力と犠牲なしにそこに座ることはできない。彼は求道者と言える。彼が楽器に触れるとき、そこは一種神秘の空間になる。そこから非日常の感動が始まる。
音は四方に放たれ、音はあなたに直接に届き、反響がそれを補完する。音を遮り音を変更するものは何もない。
ときには高い料金を払って音楽ホールに出かけてみることをすすめる。できるだけ演奏者に近い方がよい。我々がオーディオルームで聴くものは音楽に似て非なるものだということをそのとき理解するだろう。CDやレコードに価値がないと言っているのではなく、その定位置を理解できるということだ。
デジタルデバイスは雑音が多く音が悪い。
アナログオーディオ支持派の中にそんなことを言う人がいるようです。
古くからのアナログユーザで、デジタルデバイダを試してみようと高級プリアンプからそこへ信号を入れて試聴した友人がいたが、何日かして「音が悪い」と言ってきた。聞いてみると、デバイダの出力をそのままパワーアンプに入れると音が大きくなり過ぎるので、プリアンプで「う〜んと」ボリュームを絞ったということだった。先方の高級パワーアンプにはボリュームがついていない。
当然の結果なのだが、理由を説明するのに骨が折れた。先方はデジタル技術に敵意を持っていたしね。
オーバーサンプリングすれば音が良くなる。
CDの音は44.1kHzでサンプリングされていますが、PCソフトウェアなどを使えば簡単にこれを88.2kHzなどでサンプリングしなおすことができます(オーバーサンプリング)。アナログデータに変換してから改めてデジタル変換を行う方式や、デジタルのまま補間処理などでサンプルを増やすものがあるようです。
ふむ、気持は分からないでもないが。
しかし「音が良くなる」というのは誤解だ。ビット深度についても同様だ。
オリジナルのデータ品質はどんな方法でも改善できない。もともとないものはデジタルの魔法でもお手上げなのだ。
オーバーサンプリングの目的は精度の高いデータ管理を可能にすることだ。
デジタル伝送はジッターの影響で音が悪くなる。
一部のマニアや技術者が「ジッター」についていろいろ言っていますね。
「簡単に」と言いながら長い説明になってしまったね。仕方がない。ちょっと分かりにくいのさ。うまく説明できる先生は少ない。
より具体的に言えば、AD/DA変換時にオーディオ信号の歪率やダイナミックレンジ、S/N比などに影響する可能性がある。ジッター問題はすべてのデジタルシステムで起こり、HDMIケーブルをSPDIF(光)ケーブルに変えたからといって解消するものではない。
しかし、少々乱暴だが、健康なオーディオファンは「それがどうした」という態度でいればよいと思う。ジッターの影響を聞き分けられる人がいるとは聞いたことがないし、2020年のオーディオ機器にはその低減技術が搭載されているものがあるがメーカー自身そのことを大きな声で自慢していない。つまり、それは大した問題ではないのだ。「ジッターがあるから」とマニアがデジタル機器を批判するのは身の程知らずの言いがかりに過ぎない。デジタル機器のジッターは、マニアが毎日使っているLPレコードプレーヤーのワウフラッターに比べればほとんどゼロにも等しいわずかなものだからだ。
エージングで性能がアップする。
アンプやスピーカーの話題でよく聞きませんか? 中古品についても同じことを言う人がいます。
しかし、そもそもエージングの意味を分かっていない御仁が多いのではないかと思う。
何時間のエージングでスピーカーの音がよくなるのか定量的に説明できる人はいないはずだ。
「すればするほど音がよくなる」なとど平気で言う人もいる。なるほど、それならそのスピーカーを防音倉庫に入れて壊れるまでエージングすれば完璧だね。そうやって次々にスピーカーを買い、しかしいつまでも音楽は聴けないでいるうちに、彼自身のエージングが進むことになる。少年はすみやかに老いる。
使っていればそれがエージングだし、生きていればそこにエージングがある。「新品スピーカーを鳴らしていたら音が変わった」という体験については必ずしも否定できない部分はあるが、多くは「その音を聞き続けているうちに耳の方がそれに慣れた」というだけのことだと考えている。
耳は何にでも慣れてしまう器官なのだ。誰でも経験していることだ。正確には脳が慣れるんだろうが。
20代なかばのころ私はJR中央線の線路際に住んでいたことがあるが、そこを快速電車が通過するときはひどい騒音で、当初は人と会話はできなくなるし、音楽鑑賞は中断させられたものだ。しかし、しばらくすると会話も音楽鑑賞も可能になった。耳に入ったはずの轟音が気にならなくなったのだ。耳が音に慣れ、脳が情報を整理してくれたということだ。
アルニコ磁石のスピーカーは音がいい。
近年は見かけませんが、往年のスピーカーユニットの中には磁気回路の永久磁石にアルミニウムやニッケルなどの合金を使うものがありました。強度が高く高温にも耐えるので、スピーカーユニットに使われて大いに活躍したそうです。
友人に貰ったなら「着磁」という作業を業者にお願いすればよい。
細かい話になるが、スピーカーは磁石の力を利用して音を出す道具だから磁石に何を使うか、またそれをどう作るかについて種々研究があった。アルニコタイプの磁石を使ったスピーカーは「音離れがよい」などとオールドファンが言うのを聞いたことがあるだろう。スピーカー振動版に対する制御能力が高いということだ。音の信号が入ってきたら瞬時に音を出し、信号がなくなったら瞬時に音を止める、ということが現実にはなかなか難しいのだ。スピーカー振動版は動かし始めるのに時間がかかり、動き始めたら今度は慣性力が働いて止めるのに時間がかかってしまうからだ。音が出るのが遅れ、出た音がちょっと残ってしまう。もっとも制御能力について言うなら、純鉄を別電源で制御するタイプのスピーカー(励磁型)が別格だった。えらく金がかかるがマニアはどんなことでもするからね。
さてアルニコの話か。アルニコタイプは割高だということもあって、その後に登場したフェライト磁石等に多くは置き換えられた。小庵は「余分に投資するほどのものではない」と考えている。
バスレフ型スピーカーはドンシャリだ。
ドンシャリというのは「ドンドン、シャリシャリ」を短縮したもので、主に密閉タイプのエンクロージャを使っている人がバスレフタイプの持ち主を揶揄するときに使った言葉だそうです。
オーディオの歴史は一面において罵り合いの歴史と言える。何か大きな話題が生まれると必ず2派が出てきて混乱した。 感情をコントロールできない御仁がどこにもいて困ったものだよ。同じような光景を長い間見ていると、どうも民族性の悪影響なのかもしれないと思う。慎み深いのはいいが、我慢をし過ぎた結果、口を開いたときには罵倒の言葉しか出てこないほど制御不能になっている。
そんなわけでさ。密閉派いわく「バスレフは低音に締まりがない」、「バックロードは低音が遅れて出てくる」、対してバスレフ派「密閉は30Hzが出ない」、「頭を押さえつけられたような低音だ」というわけだ。そんなことを繰り返しているうちに現在の窮状になってしまった。
大人がオーディオごとき小事で争うなど見苦しい。だから女子小人にも無視されるのだ。
バスレフか密閉かは自分の環境や好みに応じて決めればよいことだ。深夜に小音量ではバスレフでなければ低音が聞こえない。バックロードは弦楽合奏で豊かな音場を楽しめる。大音量だと密閉タイプは確かに引き締まった低音がする。小庵は今のところエンクロージャについては「日本家屋にはバスレフを、スタジオには密閉を」と考えている。
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製品レビューに「女性ボーカルが美しい」などど書いてあります。
アンプやスピーカーのレビューに「女性ボーカルが美しい」などと書いてあると気になりませんか?
オーディオファンの大多数が男性であることを意識した表現だと思うね。
彼の心の深層にあるものが心配だ。
それにしてもこの50年、オーディオ女子を見たことがないんだがどうしてだろうか。
知人女子にオーディオの話をしても「ふ〜ん」で終了だ。盛り上がったためしがない。謎だ。まるで相手にしてもらえない。
女子にしてみれば、オーディオマニアというのはガラクタを集めて背中を見せる子供と同じで、大人だとすれば金遣いの荒い馬鹿者の典型に見えるのかもしれない。オーディオ人生が長い彼はふと女子からの疎外を感じてそんなことを言うのだろう。
オーディオ男子のその気分は個人的には理解できる。私は中学から6年間の男子校生活を送ったことがあって、当然その間は同世代の女子と交流することはほとんどなかった。加えて兄弟5人に姉妹はなく家の中は殺風景なものだった。それで少年がどうなったかと言えば、彼は女子について神秘的な感傷を持つことになった。ま、当然だね。健康な精神だ。女子について話すときはどこか空想を語るように感じたものだ。女子が近くにいることはほとんどないから、もしそれが現実になれば、それは幸福の一つに間違いがなかったのさ。歳をとっても男子であることはそのままだから孤独な彼は引き続きその渇仰を述べる。なお、母親は女子とはみなされない。
今のGからは想像もできない昔話ですけど。
スピーカーで音速が変わる?
500万円もするスピーカー製品の大手レビュー記事に、「ベリリウム振動板なので音速が速い」とか「音の伝播速度も桁違いに速い」と書いてありました。びっくりしました、物理法則を超えるスピーカーでしょうか?
まあしかし、教育を受けた人ならそんなことは深酒したって言わないから、たぶん冗談じゃないのかね?
空気中の音の速さは気温15度で秒速340mだということは小学校で教えるのかな? たぶんそうだろうと思うが。音速は振動版が紙でも金属でも変わらないからその評者が何を言いたいのか想像力を働かせる必要がある。それにしても「桁違いに速い」と言うためには少なくとも秒速1000mを超えなければならないから、ちょっと想像も不可能だね。
soopoo、その評者がどういうつもりなのか聞いてきてくれ。
まっぴらです。
というのも、多くの場合、オーディオ経験は人の耳に以下のような歴史をもたらすと個人的に思うからだ。
- オーディオに関心を持ち始めた当初は彼の耳の性能は確実によくなる。
- 小遣いを工夫してやっとアンプやスピーカーを買っているころ急速に彼の耳はよくなる。
- 家族や友人が彼のオーディオ趣味に理解を示し始めると飛躍的に彼の耳はよくなる。
- そして。彼が有頂天になったころ彼の耳は変形を始める。
- 彼がアンプやスピーカーを次々に交換し始めると徐々にその耳は悪くなる。
- 彼がスピーカーケーブルを次々に交換し始めると急速にその耳は悪くなる。
- 彼がハイエンドアクセサリーを買い始めると決定的にその耳は悪くなる。
- そこまで到達した評論家やマニアを小庵は魑魅魍魎と呼んでいる。
寝覚めが悪くなりますよ。
PCオーディオはMacの方がWindowsより音がいい。
一部の技術サイトで「同じ音源で同じDACを使ってもMac(Macintosh)からの再生の方がWindowsからより音がいい」などと書いているようです。
彼はそのときそう感じたのだろう。その感想の妥当性を裏付ける根拠を言える時代もあった。
しかし2020年の今もそう言っているのなら彼は技術者としては反省が必要だろう。
Macはマルチメディア機能でWindowsの先輩格だ。そもそも初心者にも扱いやすいシステムであることを売りにしてスタートし、それは今でも変わらない。「つなげばすぐに使える」というシステムは技術の詳細に関心がないユーザにとって大きな魅力だ。だから多くのユーザは「Macの庭で遊ぶこと」に満足している。近年のWindowsはMacの基本姿勢から学ぶことが多いようだ。
彼のために多少弁護すれば、近年まで、まあWindows 7のころまではマイクロソフト社はオーディオ機能の充実に関心がなかったため、関連するハードウェアやソフトウェアもまったく不十分なものだった。耳の肥えたオーディオファンがヘッドフォンやPCスピーカーでハイファイ再生を楽しみたいと思っていることにマイクロソフト社が注意を向ける余裕がなかったのだろうと思う。だから、そのころのWindowsユーザはPCからの音は「ピー」とか「ブー」とかいった警告音くらいしか聞いたことがなかったはずだ。それらはマザーボード上の貧弱なDACを利用していた。供給電源はノイズの多いものだった。状況を改善したい場合は外付けのサウンドカードと呼ぶ拡張システムがあったが、それを制御するソフトウェア(ドライバ)はやはり貧弱なもので、基本的にWindows内蔵のミキサーシステムの支配下にあった。当然、出てくる音はピュアオーディオのレベルではない。
彼はおそらくその音を聴いたのだろう。それから何年も経っているが、彼は記憶力がいいのだろう。だが2020年の今となっては事情は異なる。彼が技術者の自負を持っているなら、その意見は変更しなければならない。
2020年のWindows 10は、買ってきてそのまま使うならやはりオーディオファンには不満の残る音が出る。USB DAC等との入出力にミキサーシステムが介入するからだ。しかし、コントロールパネルからそれをオフにすればMacと同じになる。ASIOドライバも使える。USBケーブル上を流れるデジタルデータはMacだろうとWindowsだろうと変わりはない。つまり、音は変わらない。
駆動力のあるアンプは音がいい。
高価かつ高出力のアンプに対して言われることが多いようですね。
ハイパワーの効果を特筆したいのだろうか。大出力なら小出力は余裕で出るのは当然だが、そのことに特別な意味があると言いたいのかもしれない。あるいは、電源機構がしっかりしているアンプだと言いたいのだろうか。
真空管アンプ時代には想像もできなかったことだが、今では500W(ワット)も出るアナログ半導体アンプがあるし、デジタルアンプにいたっては1000Wを超えるものまである。家庭で使うには狂気のパワーだが、まあ気分はいいかもしれない。それで音もよく聞こえるのだろう。人間は不思議な生き物だ。
しかし、大出力アンプ派の実態を50年見てきて思うが、思い切って高価・高名なハイパワーアンプを買ってはみたものの、大音量で近所迷惑になっては困るし家族の批判もあるしで、その本来の実力を確認できる使い方はできないことがほとんどだ。わが国の平均的な住環境からも当然予想されることだ。つまり、人もうらやむ百万円超アンプを持ってはいるが、その本当の音は聞いたことがないのだ。まあ飾っているといった方が正しい。本当の音は聞いたことがないからオーディオ仲間が来ても「デザインがいいね」などと話題をはぐらかすしかない。そのうちに、昔の2A3や300Bの真空管シングルの方がよほど音が良かったのではないかと思うようになる。シングルでは300Bでも10Wを出せない。つまり「大出力アンプは小出力でも音がいい」などというのは本当は誰も信じていない。
大出力アンプを使った経験があるなら分かると思うが、多くのそれはノイジーで、小出力だとさらにノイジーだ。静かな夜に聞けは幻滅するだろう。カタログには高S/N値が書いてあるが、それは最大出力時のもので常用音量(1W程度)での測定ではない。
大出力であることの危険性も指摘しなければならない。スピーカーユニットがいとも簡単に破壊されてしまう。セットアップのわずかなミスのために高価なツィーターやスコーカーを飛ばしたマニアを私は何人も知っている。私もその一人なんだがね。ちょっと捨て置けないのは、ユニットを壊しただけなら彼にとってエピソードの一つに過ぎないが、それをそのまま中古市場に出している不届き者がいることだ。小庵もそれを購入したことがある。残念だったね。趣味が昂じると道徳的な退廃を迎えることもあるということだ。気を付けようぜsoopoo。
考えたこともありません。だからぼくたちは人間の友なんです。
小庵のアドバイスはこうだ。5Wの再生音と言えば近所中からクレームが来て警察まで出動するかもしれない大爆音なんだが、量販店で買える最低価格帯アンプ(プリメインを含む)でもそれを完璧に実現できる。つまり、マルチアンプシステムでは駆動力のあるアンプなどという得体の知れないものを使う必要はない。
デジタルアンプは音がいい。/ 真空管アンプは音がいい。
思い込みは罪悪ではありません。
soopoo、これはつまり「最初に見たものを追っかける」というアレではないのかね。
測定値で見れば勝負は明らかだが、人の好みは数値にできないから小庵はどちらかを支持する気はない。両方を楽しむ大きな気持ちを持てばよい。聞き比べて自分の耳を自分で評価すればいいのだ。すると、ある日は「おお、さすがは真空管は暖かい音がする」と感じ、別の日には「なんだ真空管のこの寝ぼけた音は」と思うだろう。安心したまえ、それで正常だ。
国内メーカーは外国製品の真似ばかりしていた。
「国内メーカー製は外国製に勝てない」という文脈の中で語られることの多い批判です。
国産品を使っているからといって、それで引け目を感じるのはオーディオファンとして少し反省が必要かもしれない。外国の技術や製品を模倣したのは確かだが、それをわが国の事情に合わせて発展させることができたのは誇りにしてよいことだ。実際、1980年のころのオーディオ黄金時代には本当に作りのよい製品が次々に誕生した。その繊細な音作りは、AltecやJBLがただの拡声装置に感じられるほどだった。今でも当時の国産品を使い続けている人がたくさんいるはずだ。
クリーン電源を使えば音がよくなる。
クリーン電源というのは、家庭に来ている交流電源の乱れを修正し、そこに乗っている外来ノイズを取り去ることを目的とした電源装置です。壁からの交流電源をそこへつなぎ、そこから改めてオーディオ機器等へ配電します。ちょっとgoogle先生で「クリーン電源」を検索してみたところ、「魔法の箱」、「全帯域の情報量が増えて音がグッと前に出る」、「超高解像度サウンド」、「麻薬的な効果」などと大変な高評価です。本当でしょうか。
どうせ魑魅魍魎が言っているのだろう。少しは恥を知るべきだ。
ただ、クリーン電源メーカーが言うように、あなたの家に来ている交流電源は実際にひどい状態かもしれない。電圧変動があるかもしれないし、サインウェーブがぐちゃぐちゃになっているかもしれない。インバーターエアコンや冷蔵庫のおかげで家庭内配線に盛大に高周波ノイズが乗っているかもしれない。
「それは大変だ」と思って専門店からクリーン電源装置を取り寄せれば電力容量600W程度のもので少なくとも1ヶ月分の給料が必要になる。マルチアンプシステムのためには容量が不足するから2ヶ月分だ。小庵は実験システムでもっと電力を必要とするから一気に貯金が減ってしまうことになる。いったい、これだから「オーディオは地獄」なのだ。「クリーンな電源を」と言われれば、それは正論だから駆け出しのオーディオファンには抵抗が難しいだろう。
しかし、思い出してほしい。オーディオ製品は交流電源をそのまま使うわけではない。アンプ内に入ったとたんに整流されて直流になる。その過程で正弦波(サインウェーブ)の乱れや電源由来のノイズはほとんど吸収される。メーカーや一部のマニアが言うように「ノイズは完全には取りきれないし、リップルも残る」というのは事実だが、それはクリーン電源を何段構えにしても同じことだ。ゼロにはできない。夢のバッテリー電源にしたところでどこからかノイズが入る。結局は程度の問題なのだ。あなたのオーディオシステムが突然に腰砕けになったり、耳が痛くなるような雑音が出たりするのなら、それは問題だが、そうだとしてもクリーン電源に飛びつく前に電気工事士を呼んだ方が解決は早いだろうと私は思う。家の内外に何か大きな問題があるのだ。
私はかつてマニアの誘惑を気にしてUPS(無停電電源装置)を試したことがある。そのUPSは商用電源を直流にして一度バッテリーに蓄え、そこから改めて正弦波の100Vを出力するものだったから、現在のクリーン電源の一部とほぼ同じ動作だ。それで何とか音の改善を聞き取ろうとしたが、何かが変わったようには思えないので数ヶ月で撤去してしまった。するとそれまでにない静寂が訪れた。UPSから出る運転音が消えたのだ。オーディオの感動は静寂の中にあると思い出した。
ただ、クリーン電源を何の役にも立たないと言っているわけではないし、実際にノイズをカットしているだろうから、それを是非とも必要とする業務環境はあるだろう。それでも、オーディオにおいては、ことにデジタルオーディオにおいては、それについては過敏になる必要はない。
電源は200V(ボルト)の方が音がいい。
近年は家庭用電源の電圧を100Vから200Vに簡単に切り替えられるようですね。「200Vの方がエネルギー感がある。音がいい」という人がいます。本当でしょうか。
しかし、差はわずかだろうし、そもそも差が現れるような大爆音を我々は楽しむことはできない。平均的な常用音量1W(ワット)では何も変わらないだろう。それに、差があるとしても音がいいかどうかは別問題だ。ところでsoopoo、どこに行けば超人に会えるんだ?
消磁器/消磁用CDを使えばCDやDVDの音がよくなる。
小庵は試したことはありませんが、マニアが話題にすることがあります。「なぜか音がよくなる」と。
消磁用CDは消磁用信号を記録したCDで、音がよくなるだけでなく電源ケーブルからスピーカーシステムに至るすべてのオーディオ機器に好影響があるなどと言っている。一般的なCDプレーヤーで再生するだけだそうだ。
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先に消磁用CDを片付けておこうか。これはそのまま捨ててもよいと思う。売っている者を非難するのはどうかと思うが、どうしてこのような者と物が出てくるのか、誰かに研究してほしいところだ。
消磁器についてだが、奇妙な主張だ。CDなどの光学メディアに磁気が滞留することはない。プラスチック素材だし磁気を帯びるものがないのだ。あるとすればラベルのインクにわずかに鉄分が含まれる可能性とデータ面の反射膜に金属材が含まれる可能性だけだ。極めてわずかな可能性だ。しかし、そうだとしてもCDの読み取りは光学処理なので磁気の影響を受けることはない。読み取り装置内の金属部品に影響を与えられるほどディスクによる磁力は大きいはずがない。第一、地球上はどこでも地磁気の影響下にあるのに、それによってCDの音が変わるというのは聞いたことがない。消磁器自身が地磁気の影響を受けるはずだが、それに言及していない。また、CDから読み取って電気信号に変換したデジタル信号は磁力の影響を受けない。
業者が自ら公開テストをすればすぐに世界を納得させられるはずだ。磁化してしまったCDでリッピングを行ってFLACなりWAVEなりで保存しておき、同じCDを彼の製品で消磁して再度リッピングを行い、PCコマンドで比較してみれば両者が異なるかどうか、つまり実際に変化があったかどうかが数秒で分かるだろう。なぜそうしないのか。うまく行けば大きな販売チャンスがあるはずだ。
つまり、消磁器の消磁能力は疑わないとしても、それらのディスクが磁化する可能性は実際には極めて小さく、消磁が必要なほどになることはほとんどないというのが本当のところだろう。何度も取り上げているように、デジタルの世界で「音が変わる」と言えば、それは何らかのエラーが起きたということを意味する。エラーが頻繁なら、そのようなディスクメディアはそもそもコンピュータ技術の世界では使われない。音楽データや給与データを入れたディスクが1年に1度の消磁をしなければエラーが起きるかもしれないというのでは、そんなものは信用できないということだ。ところがCDは信用できるとされている。
さあsoopoo、もうこれで十分だろう?
でも最後に大切なことも言ってくださいね。
魑魅魍魎賛歌
G、魑魅魍魎さんに贈る言葉はないですか。最後に礼を示しましょう。
このまま終了したら寝覚めが悪くなるところだった。
一読すれば分かるように、このページは一部のオーディオマニアや業界関係者の主張に異論を唱えるために作成した。彼らを小庵は魑魅魍魎と呼んでいる。いわばオーディオ界の怪物だ。小庵サイトの目的は「ポケットマネーでも質の良いマルチアンプシステムを構築できる」と主張することだが、そんなことは不可能だという暗黙の了解が古くからあって、それを形成し維持してきたのが魑魅魍魎諸君だ。それで小庵はことさらに彼らを標的にした。
しかし個別の誰かを批判したいわけではない。その点はよく注意してコメントを書いた。小庵の記事を読んだ魑魅魍魎諸君がどう反撃してくるかおよそ分かっているから、過度に刺激しないよう相応の配慮をしたつもりだ。コメントを書くときは友人の顔を思い浮かべていた。面と向かえばあまりひどいことは言えない。実際、生身の人間には固有の魅力があるからね。
率直なところ魑魅魍魎諸君の意見には理解できるところが少なくないと思っている。「マルチアンプシステムは高くつく」というのは、彼らの多くがアナログオーディオ時代に生きたことを考えれば、至極もっともな意見なのだろう。たとえば信用のおけるアナログチャンネルデバイダーは「ポケットマネーじゃとてもじゃないが……」と言われる価格だったし、それなのに大した機能を持っていなかった。「高くつく」という記憶が残るのはむしろ当然だ。
長きにわたり我々は散々に学習し散々に投資した。得られたものの多くは時の流れとともに陳腐化したが、それは仕方のないことだ。だれかが悪いということはない。我々はそれぞれの場所と時代に生きるしかない。誰もが他の誰とも異なる時空風景を見ている。そしてすべてが過ぎ去っていく。オーディオの小世界とは言え偶然の邂逅を喜び互いを尊重するのが我々の賢明な道ではないかと思う。
思えばオーディオ文化がかろうじて今も滅びていないのは魑魅魍魎諸君の奮闘のおかげなのだろう。彼らの底深い情熱と自己犠牲がその底流となったのだろう。ひょっとすると、彼らの無分別も、そして私の数々の愚行も、実は天啓そのものだったかもしれない。過去は、その意味について折々謎の笑みを我々に見せるが、それらすべてを包摂して我々の現在がある。そういうことだ。私は、自分が今でも未熟だと認めたうえで次の事実を受け入れる。彼らが存在しなければ小庵も存在しなかった。彼らは賢人と異ならなかった。
魑魅魍魎とは愛称であり敬称であり尊称だね。物語を紡ぐ者の一人なのだ。
自称することはできない。それは選ばれた者のみに与えられる勲章だ。
Gがそれを批判するたびに「どうしてGは自分を批判するんだろう」と悲しくなったんですよね。
それじゃ散歩に行きましょう。
ビーフジャーキーをリクエストします。
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